遺言は必ず作りたいと思っています

私は遺言について、今思っていることとして必ず作りたいと思っています。
それは、おばの相続について、とてももめたことがあるからです。
おばがなくなった時、その時の相続人が全く知らない人がいたのでした。
その結果、とてももめることになりました。

そのもめたというのは、親族として全く知らない人もいたからです。
その知らない人は、おばの子供でした。
そのことを生前、全く聞いていなかったのです。
おばが生前生きている時に、そのことについて知らされていなかったので、存在を知らなかったのです。
おばの戸籍謄本を取り寄せることもなく、そのことについて知っている人がいなかったのです。
おばがなくなって始めて、知った事でした。

その後、相続をその子供がすることになりました。
それは、法律上仕方のないことだと思っています。
しかし、介護を実際にした人たちがいるのです。
その人たちには、全く相続権がないということです。
そのことは、やっぱりおかしいと感じるようになっています。

そのため、私がなくなった時のことを思って、もめることがないようにしたいと思っています。
そのことは、遺言を書く事が一番なのです。
すると私の気持ちを示すことができます。

自分と親しい人、子供など、本当におせわになった人、愛おしいと思う人に遺言で記載をしたいと思うのです。
そしてそれは、元気なうちにすることが一番です。
元気がなく病気になってからは、遅すぎます。
また、いつ自分がどのようになるのかわかりません。
明日でも、なくなってしまう可能性だってあります。
そのため、できるだけ早く遺言を書いておきたいと思っています。

すると、気持ちの整理をすることもできますね。
エンディングノートとしての残すことができるし、自分の意思をきちんと伝えることができます。

遺言について、そんなに意識をしていない人が多いです。
それは、相続についてもめたことがない人かもしれません。
しかし、いつ自分の身に降りかかってくるかも知れない事を知ることは、大切であると思っています。

遺言の準備はすぐにでも。

遺言の準備に早すぎると言うことはありません。
私は40代後半ですが、すでに遺言を残してあります。
いくら何でも早すぎでは?と思われるかもしれませんが、
ではそれならいったい何歳になったら遺言を残す適齢期なのでしょうか?
もちろん私たちのクラス日本という国は、明日の安全も確保できないほど
危険な国ではありません。
それでも、電車やバスなどの公共交通機関や、自家用車、自転車に徒歩でさえ不慮の事故に遭う可能性は
ゼロではありません。
そして今のところ健康上問題を抱えていないにしても、
もしかしたら明日の朝思いもしなかった病による発作で他界するなどと言う可能性も考えておくべきです。
あり得ないと思われる万が一に備え、残された家族が困らないようにとの考えから
私は遺言を準備することにしました。
一般的に「遺言」を言う言葉を聞いてイメージするのは、
家族や、配偶者、親、兄弟にあてての感謝の言葉であったり、
自らの人生に対する自省の念であったりするかとおもいますが、
さすがにそこから書き始めようとすると、筆が進みませんでした。
それはまた追々書き加えてゆくことにして、
まず私が一番に考えたのはお金のことです。
正直どなたにも、家族に知られていないお金や資産をお持ちの方は少なくないはずです。
まずはそれを明らかにしました。
どこにどれほどの貯蓄があるのかと出金方法からはじめました。
そして家族にとってはがらくたのようなものでも、実は売却すれば多少のお金になりそうなものも
列挙することにしました。
次は所有物に関してです。
捨ててもらってかまわない物、役立ててくれる人が居る可能性があるので捨てずに譲ってあげて欲しい物とその相手、
子どもに遺品として持っていて欲しい物、などです。
読み直してみると遺言と言うよりは、自分の身辺整理状のような感じでしたが、
少なくとも家族はこれを読んで、すこし気が楽になるのでは無いかと思っています。
何年かに一度は書き直す必要もあるかと思いますが、
そんな折を見て周囲の方々への感謝の言葉も書き加えてゆきたいと考えています。

遺言をつくるとき、弁護士さんのHPが参考になります。
私が参考にしたのは、東京にある相続弁護士のホームページでした。

父が生前に作っていた遺言状

私の父は、飲食店をいくつか経営していました。
学歴もない父がここまで頑張ってこれたのは、彼の思いっきりの良さと経営手腕にあります。
事業自体は成功して、私も何不自由ない生活を送らせてもらっていたのですが、夫婦関係は冷え切っており母との仲は最悪でした。
原因は、「度重なる浮気」です。
お金も地位もある父の元には常に女の人が群がり、父も女好きだったので来るおの拒まずといった感じで、豪快に女遊びをしていました。
当然のごとく、家にもほとんど帰らないので、母の怒りは頂点に達していました。
そんな、父が、晩年、病にかかり闘病の末に亡くなりました。
私は一人娘であり、父の遺産は母と私の二人で相続されるものだとばかり思っていたら、葬式の日に事件が起きたのです。
父が認知したという女性が現れたのです。
突然のことで、私も母も言葉を失ってしまいました。
女遊びはしていたけれど、まさか、ほかに子供まで作っていたとは青天の霹靂でした。
そのことだけでもびっくりなのに、さらに、一緒に来た弁護士の方が父が生前に作成したという「遺言書」を持ってきたのです。
そこには、「私と母、認知した子供の三人で相続すること」と書かれていたのです。
その文面を見て母はショックで倒れてしまいました。
とりあえず、その日は、父が認知した女性にはおかえりいただき、後日、改めて、こちらの弁護士とともに会うことになりました。
こちらの弁護士さんが遺言書を見たところ、ちゃんとしたものであるので、遺言状が通る可能性は高いといわれてしまいました。
その後、何度も話し合いはしたのですが、結局、こちらの言い分を通すことができず、遺産の三分の一を泣くなく、その女性に渡すことになってしまったのです。
金額にして数千万円以上です。
何より、お金以上に家族にとっては、死んだ後まで「父に裏切られた」という思いでいっぱいでした。
特に、母のショックは大きく、体調を崩して寝込んでしまいました。
遺言状の恐ろしさを体験しました。

子供のために遺言書を書きたいです

私は数年前に祖母を亡くしました。祖母はとても地味な生活をしており、少しではありましたが預貯金を残していました。父は長男でしたので、祖母と同居をしていました。祖母が体調を崩して、介護が必要になると母と私で交代しながら、お風呂の介助や食事のお世話などしました。祖母が亡くなって、本当に悲しくて涙が止まりませんでした。父は下に弟1人と、妹3人がいます。祖母が亡くなり連絡をしました。やはり父の兄弟も、母が亡くなるのは悲しくて、号泣していました。しかし、葬儀が無事に終わり食事をしていると、「兄さん、お母さんは遺言残してないの?」「兄さん、お母さんの預貯金いくら残ってる?もちろん、分けてくれるんでしょ。」など、祖母のお金の話になりました。祖母には、遺言を残そうという意思はありませんでした。まあ、預貯金が少しということもありますし、その預貯金で葬儀の費用や法事に充ててほしいと、言っていたからです。その事を兄弟に説明しましたが、納得いかないという感じでした。私はこの光景をみて、祖母も悲しんでいると思いました。そして父自身も、兄弟がお金に執着する姿を見たくなかったと思います。今回のことで私自身も、どんなに財産が少なくても、自分の子供が相続で争わないと信じていても、遺言はしっかり残した方が良いという結論に至りました。まだ年齢的に若いので、すぐに書かなくてもいいかなと思うのですが、地震等の災害でいつ死んでしまうかもしれません。遺言を書いて、また変更する箇所が出た場合は、新しい遺言書を作成して、古い遺言を破棄しようと決めました。遺言書を正しく書かないと無効になったりする場合があると、聞いたことがあるので、まず遺言書の書き方を学ぶ必要があると思いました。私には、子供が2人いるので平等に分けてあげたいと思っています。しかし、家とか車など分けることが出来ないものはどうしようか迷うところです。よく考えて遺言書を作成したいです。

祖父の遺言

遺言を残され、もうかれこれ6年ほど経ちます。
私のおじいちゃんは70歳でこの世を去りました。
とても仲が良かったので、とても悲しみました。葬儀も家族のみでする予定でしたが、次から次へと親族がやってきました。
それだけ慕われていたようです。
あまりお話し上手ではないけれど、寡黙で威圧感があるのではなく、ただのほほんとしたおじいちゃんでした。
野球がすきで、鉄棒が得意で、仕事はずっとトラックドライバーをしていました。
多くの人に囲まれてあの世へ逝きました。
長いこと闘病生活が続いてたにも関わらず、お見舞いへ行くと明るく振る舞っていました。
お見舞いから帰る時は必ず、いいよっと言っているのにナースステーションこっそり通り過ぎ、1階の受付カウンターまで「気をつけて帰りね、家族仲良くね」と送り出してくれる、そんなおじいちゃんでした。
そんなおじいちゃんも闘病生活が長くなるにつれ、精神的に病んでいきました。
元気だったおじいちゃんは居なくなってしまいました。
変わり果てたおじいちゃんをしばらく見守って、あとは黙って帰るようなお見舞いが続き、余命わずかとなった頃のことです。
遺言をそっと託されました。ほんの一言なのにそれは、とても深く心に刻まれた言葉です。
たった一言、「家族円満に。」当時、介護疲れの祖母に反抗期の弟と反抗期に疲れた母、仕事に奔走する父、病気を患った私、家庭は崩壊寸前でした。
おじいちゃんは長いこと入院生活が続いて、家の中のことなんて忘れていると思っていました。
けれど、いつも家族のことを思っていたようでした。
のほほんとしたおじいちゃんが、家族円満をすごく保ってくれていたことに気づきました。
たった一言、なのにいろんなことを考えさせられました。
私にとってこの遺言は重くのしかかることもあります。呪縛のように感じることもありました。
でも、おじいちゃんは、ただただ家のことをいつも思って心配をしていたのだと知ったとき、改めてこの遺言を受け入れて生きていくことができました。

実親自宅の相続

私は40歳男性です。生まれてから大学を卒業するまでは大阪で親と同居していました。その後大学を卒業し、就職を機に私は東京へ出てきました。就職先の本社が東京だったため、転職などを考えない限りは実家に帰ることは無いと考えています。
私には年子の兄がおり、兄は大阪に住んでいます。
私の両親は幸い今のところ健在なのですが、後々際になってもめるのは嫌なので元気なうちに遺産について話しておこうとしたところで問題が起きてしまいました。
私は一流とは言えないまでも、そこそこの企業に勤めており年収は安定して1000万円程度あります。兄は若いころは大阪の某大手自動車メーカーに勤めていましたが、3年ほどで退職、かねてより夢であった独立の道を選びました。しかし兄の事業は全くと言っていいほど上手くいかず、銀行や親・親戚から借金を重ねた挙句、開業してから10年ほどで倒産、兄と兄嫁も自己破産となってしまいました(兄嫁は兄の借金の保証人になっていたため自己破産となったようです)。
私の親はそれほど資産を持っているわけではなく、現金で相続する分については私が自宅を購入する際に生前贈与として受け取りました。兄への生前贈与分は、事業を行っている際に貸したお金で相殺するとの話でした。
親の資産として大きいのは親の自宅で、大阪市内に25坪ほどですが土地付きの自宅を持っております。この土地は祖父の代からの資産で、大阪市の中心に近く25坪とはいえ金額としてはそこそこ大きな資産となります。この土地をどう扱うかで兄と私は少しもめました。先ほど少し書いた通り、私は生活をすでに東京に移しており、今後大阪に戻る気はありません。ですので土地と家に関しては兄が相続しても良いが、その代わり大阪に住んでいるのだから年老いた親の面倒を見るようお願いしました。兄は自己破産しているためローンは組めず、自宅購入は難しいことから、早く今の親の家を手に入れたいらしく、親を施設に入れるための資金を私に依頼してきました。あまりにも自分勝手な要求に当然私はそれを断り、親にすべてを話ました。
最終的に土地も家も兄が相続することになりましたが、それはまだしばらく先になりそうです。